大企業が崩壊した後(インターネットは何を破壊し、何を作るか・3) - 夢幻∞大のドリーミングメディア
佐々木氏が語る「二極化」とノマド
インターネットは何を破壊し、何を作るか、インターネットはパンドラの匣か(インターネットは何を破壊し、何を作るか・2)で、インターネットによって大企業が崩壊する傾向について考えたが、その後の世界について佐々木俊尚氏は、こんなことを言っている。
かつてソフトを販売するにはCDなどのメディアを大量複製し、印刷物を添えてパッケージに納め、流通を通して小売店へ卸すしか方法がなかった。しかし今ではApp StoreやAndroid Marketで開発者は直接ソフトを販売できる。価格も下がっており、多くの人員や多額の開発費を投入した高額なソフトは売れるのが難しい時代となっていると佐々木氏はソフトメーカーの現状を紹介。音楽や電子書籍についても日本企業は似たようなジレンマを抱えていることも話す。
「しかし、この流れは止まらない。止められないのだから嘆いてもしかたがない。ビジネスモデルが崩壊していく中で我々ができるのは、適応することだ。グローバリゼーションというのは、要するにこういうことである」
「世界は二極化する。ひとつはクラウド化するグローバルプラットフォーム。対抗するならノマドとしてスモールなモジュールになるか、という2つしかない」と佐々木氏は強く言う。しかしノマドの小さいビジネスを追求することは、大企業にはできない。
クリスマスキャロルはどこから来るのか?
「プラットフォーム化を狙わなければいけない。グローバル化とともに、クラウドがプラットフォームになりつつある。日本では震災を契機にクラウド化への意識が一気に進んだ。プライベートクラウドからパブリッククラウドへ。ローカルからグローバルへ。このふたつの方向性は劇的に一致しつつある」 (世界は二極化し、コミュニケーションはクラウドに統合される:佐々木俊尚氏 - (page 2) )
ホームサーバの戦いシリーズに登場するアップル、ソニー、マイクロソフト、グーグルなどは、プラットフォームの戦いということなろう。
さて、ノマドとしてスモールなモジュールとは何か。佐々木氏は、「ノマドの時代」でこんなことを言っている。
カエルpirncessの最初の本は何ですか
そういう状況の中で我々は何をすべきなのか。モジュール化した形で仕事をして行くしかない。だから今、ものすごい勢いでフリーランスになる人が増えている。僕はメディアの業界で長年仕事してきたんですけど、今までだったらまさかその会社を辞めないだろうという新聞社や出版社、テレビ局を辞める人が増えている。しかも定年間際とかではなく、せっかく入って年収1000万くらいなった20代後半とかで辞める人がすごく多い。彼らは別に世の中イヤになってインドを旅しているわけじゃないんです。同じようなビジネスを大企業に頼らずに自分自身でフリーでやろうと舵を切る人が増えているんです。最近、そういう新しい人たちを「ノマド」と呼ぶ。「ノマド」とは遊牧民の事。身軽に会社に従属しない生き方が許され� �ようになってきてるし、それを志向する人がものすごく増えているわけです。この流れは今後も進むでしょう。
(中略)
プラズマテレビでは、非加熱の場所に固まってしまいます
ソーシャルメディアの中で、自分をブランディングするという方向に変わっている。「エゴサーチ」って知っていますか?自分の名前を検索エンジンで検索すること、他人の名前でもいいです。そこで検索の上のほうに何が出るかによって、その人の価値が分かってしまう。例えば、上位に過去にヒドイ発言をして2ちゃんねるで炎上とかしてるのが出てくると、人間として信用されないってなってしまうわけです。あるいは僕のようにメディアでフリーでやっているのに、上位に記事が1本も上がってこないとか、自分のwebサイトも持っていない、Twiterもやっている形跡がないでは、信用されなくなってしまう。これからは自分の名前で検索した時に何が上位に上がってくるかまで、きちんとブランディングしなくてはいけないと� ��う時代が来ているんです。(ノマドの時代)
ピーター・ドラッカーのネクスト・ソサエティ
ピーター・F・ドラッカー氏は、「ネクスト・ソサエティ」にこんなことを書いている。
50年以上も前になるが、私は『産業人の未来』(1942年)において、職場コミュニティと名づけたもの、すなわち当時出現したばかりの大企業という社会環境に期待した。それはある一つの国でだけ機能した。それが日本だった。
しかしその日本でさえ、今日では企業が答えとはならないことが明らかになっている。第一に、いかなる企業といえども、一人ひとりの人間に真の安定を与えることはできないからである。日本の終身雇用制さえ危険な幻想として終ろうとしている。しかも終身雇用にせよ、そこにもたらせる自治的な職場コミュニティにせよ、知識社会の現実には到底通用しない。
知識社会においては、企業は生計の資を得る場所ではあっても、生活と人生を築く場所ではありえないからである。それは、人に対して物質的な成功と仕事上の自己実現を与えるし、またそうでなければならない。しかし、そこだけでは、テニエスが110年前に言ったコミュニティを手にすることはできない。それはあくまでも機能を基盤とする一つの社会であるにすぎない。(ピーター・F・ドラッカー著/上田惇生訳「ネクスト・ソサエティ」ダイヤモンド社)
これは、ピーター・F・ドラッカー氏が1998年に書かれたものだ。さて、ドラッカー氏は、企業を中心とするコミュニティではなくて、非政府・非営利のNPOこそが中心になるだろうと説く。
なぜならば、誰もが自由に選べるコミュニティが必要となる中で、NPOだけが、教会から専門分野別の集団、ホームレス支援から健康クラブにいたる多様なコミュニティを提供できるからである。しかもNPOだけが、もう一つの都市社会のニーズ、すなわち市民性の回復を実現しうる唯一の機関だからである。NPOだけが一人ひとりの人間に対し、ボランティアとして自らを律し、かつ世の中を変えていく場を与えるからである。(ピーター・F・ドラッカー著/上田惇生訳「ネクスト・ソサエティ」ダイヤモンド社)
このピーター・F・ドラッカー氏の言うNPOの役割を、現代ではソーシャルメディアが果たしているのではないだろうか。したがって、ブログやSNSで検索されない人は過去の人になり、無視され続けていくことになろう。
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